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留学のアメリカンドリーム

留学体験談

2016.3.2 閲覧数:5

≪アメリカンドリームの代表の吉川です。≫私の転倒満載の留学体験を少しご紹介しましょう。 「③ スネ夫の留学の現実 どこへ逃げ出そうか・・・」

 

 

≪スネオの留学の現実 どこに逃げ出そうか・・・≫  
 
弊社の代表のかなり転倒回数の多い半生を、少しご紹介します ③  
 
 
 アメリカの成績はA,B,C,D,Fの5段階評価。Aは4点、Bは3点、Cは2点、
Dは1点、FはFailure(落第)で0点です。大学では 毎学期の成績をこの4点満点に
換算して成績平均点を出し、私の通っていたLess Competitiveという下から2番目の
ランクの大学では成績平均点がCの2点を下回ると、Academic Probation
(学問的警告書)が出されます。
 
 私の大学のルールでは、次の学期に成績平均点をC:2.0以上に 引き上げることが
出来なければ退学にする、ということになっていました。
 
 ≪スネオだった自分≫  
 
 考えてみれば小学校の頃から何ひとつ努力らしい努力はしたことがありません
でした。私立中学の入試には全部落ちましたが、公立中学に 行けば済むことでした。
公立中学では普通にやっていれば、それなりの成績は取れ、市内の公立高校に合格
しました。
 
 その高校は男女共学で 和気あいあいと中々楽しい高校生活でした。私が中学生の頃
父の経営していた会社が倒産してしまい自宅もビルも抵当には入っていましたが、
競売に付されることも無く私の生活にはそれほど大きな影響はありませんでした。
 
 子供の頃からかなり甘やかされて育ったので、本来の性格はドラえもんに出てくる
スネオに似ていましたが、高校の頃にはそれを上手に隠す術もそれなりに身につけて、
「まあ、これが青春と言うものだろう。」と思っていました。
 
 また、将来の夢は?「特になし。」、進路は?「人に使われるのは性に合わない
ので、自分の会社を作って社長 になる。」
自分を分析すると?・・・「表面だけを取り繕って良い人を演じる嫌な奴。
誰にも言わないけど、そんな自分が嫌いだ。」 これらが私の本音でした。
しかし、「でも皆、本当はこんなものなんだろう。こういう現実と折り合いをつけ、
周囲とうまくやって行く、という のが大人になるということなんだろう?
面白くもなんともないけど。」と、考えていました。
 
 そんな私が、「隣のクラスの生徒が留学すると聞いて、そりゃ浪人するより
カッコ良い!と思って真似をしました。」と言うのが本当の動機でアメリカの大学に
留学した訳です。1979年、今よりももう少し留学が珍しかった頃で、
「吉川がアメリカに留学するらしい」という噂が広まると・・・いえ、自分で広まる
ように周囲に話すと私の周囲には友人が増えました。
 
 3月に高校を卒業して7月に渡米。アメリカに 出発するため東京に向かう飛行機に
乗るための広島空港には、数十人の高校の友達が見送りに来てくれました。
 
 留学が決まって以降、僕は周囲 の友人達の下宿に入り浸り、そこが大勢のたまり場
になって皆仲良く毎日遊んでいましたので、友人達は全員大学浪人になってしまい、
担任の先生には、「吉川、教員生活30年。お前のせいで過去最悪の受験結果じゃ!」と、言われていました。
(この先生には本当にお世話にな り、私が社会人になっても交流させて頂きました。
残念ながらすでに他界されましたが。)
 
 浪人生活の友人達も実は暇だった訳です。あるいは勉強の邪魔をする私が
居なくなるのが嬉しかったのかもしれません。紙ふぶきや横断幕まで用意してくれた
見送りの友人に、
「皆、ありが とう!4年間、頑張るからな!手紙をくれよ!」と言って旅立った
のに」、たった4ヶ月で、私は「退学の警告」を受けてしまった訳です。  
 
≪なんで退学の警告なんかに・・・≫  
 
 私の成績は4点満点で1.56。この学期は4教科を取っていましたが、
中でもきつかったのが経済学の授業でした。教授の話す英語はまった く理解できず、
600ページもある教科書での授業は1回約20ページ分くらい進みます。
辞書を引きながらの私は、そんなに早いペースにはとても付いていけません。
 
 私は4ヶ月の授業の最初の数週間くらいであきらめてしまい、学期の半ばを過ぎた
頃には授業も休み勝ちになって いました。何しろ教室に座っていても何の話だか
全く理解できませんでしたので。
 
 退学まであと一学期の猶予と言われても、私にとっては 「退学は時間の問題」と
思われました。大学を退学になったら寮も当然追い出されます。そのまま日本に
帰ろうにも、故郷の広島にはかっこ悪 くて帰ことはできないため、
東京か大阪か誰も自分を知らない所でしばらく暮らすか・・・
それともこんなノースキャロライナの田舎町なん かじゃなく、ニューヨークか
ロサンゼルスの都会に出て、日本食レストランにでももぐりで働かせてもらうか・・・
 
 それとも親にねだってお金を送ってもらってバイクでも買って、
「アメリカ冒険旅行」として、しばらくアメリカ国内を旅行してみるか、そんな
冒険旅行を本に書いた人も居たような気がしたので・・・
 
 しかし内心はずっとビクビクした毎日で、学期の切れ目のわずかな休み中も
夜は熟睡できず、食事もあま り喉を通りませんでした。そもそもアメリカの東海岸の
大学寮の食事なんてまずくてとても口に合わず、元々わがままで偏食ばかりしていた
私は、コーラやケーキでお腹を膨らませることが多く、きちんとした食事を
とっていませんでした。
 
 ちょうどこの退学の警告を受けた頃、立ちくらみがするようになり、
大学の保健室で診てもらったところ、「栄養失調」と、診断されていました。  
 
 大学の授業には付いていけず、退学の警告を出され、食事が口に合わなくて
栄養失調、間もなく大学を退学になれば住む所もなくなってし まう。
気持ちはどん底でした。
 
 ≪つづく≫
 
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