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2016.5.23 閲覧数:2,313

263.『FIFA国際サッカー連盟 幹部 汚職により逮捕』 私たちのワールドカップ招致活動について

 

 現在、2020東京オリンピック招致活動において、「2020東京オリンピック招致委員会」から、

元国際陸上競技連盟の会長(IOCメンバー)の息子(国際陸連関係者)に対して、

2億円余りの金銭が送られた、ということが報じられ、これが事実であれば、

2020年東京オリンピックの開催権限をはく奪される可能性がある、とも言われています。

 

 

東京五輪招致不正疑惑、海外からは厳しい視線 露呈する政府、招致委 …

http://newsphere.jp/national/20160515-1/

 

 

 オリンピックやワールドカップ等の世界的なスポーツイベントの招致活動に関しては、

これまでも何度も汚職が報じられ、その都度、招致活動に関するルールも改められて来ました。

以下は、アメリカンドリームのホームページの過去記事ですが、かつて私が関わった

「2002年ワールドカップ日本招致活動」の私的な記録として、復活掲載させて頂きます。

 

 

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 2015年 5月 30日(土曜日) 02:57

 

「米司法総省は27日、国際サッカー連盟FIFAの副会長ら9人を含む関係者14人を賄賂を
受け取った罪などで起訴したと発表した。」
(YOMIURI ONLINE : http://www.yomiuri.co.jp/world/20150527-OYT1T50148.html )
 
 
 米司法総省によると、「これは疑惑解明の始まりであって、終わりではない。」として
おり、本日時点で、このFIFAの汚職問題はイタリアなどのヨーロッパ、南米、そして
オーストラリアなど世界のあちこちに捜査の範囲が拡がっているようです。
 
 私は、1994年から1996年まで「2002年ワールドカップ日本招致委員会」の国際部員と
して、主に日本サッカー協会の長沼会長付きとしてワールドカップ招致活動に関わって
いました。今回逮捕されたFIFAの幹部の内、「ジャック・ワーナー、フィゲレド、ニコ
ラス・レオス」の3氏は、日本招致活動にも深く関わった人達で、私も何度も会ってい
ます。このニュースが出て以降、冗談のような話ですが、「お前は大丈夫か?」という
友人たちからのご心配のメイルやメッセージが私のもとに届きました。
 
≪日本の招致活動は汚職に関わっていないのか?≫
 
 大丈夫です。日本は2002年のワールドカップ日本招致において一切の不正行為に手を染
めていません。
 
 2002年のワールドカップ招致活動が本格化したのは、1994年から1996年の6月1日まで
でした。当時、世界に21名いたFIFA理事の投票によって開催国が決まるワールドカップ
の主催国に名乗りを挙げた日本についで、韓国は現代グループ財閥の六男で現代重工業
の会長であり国会議員でもあるチョンモンジュン会長が韓国サッカー協会の会長とし
て、FIFAの副会長選に立候補して当選、そして日本に次いで2002年のワールドカップの
主催国に立候補して来ました。
 
 こうして2002年大会は、日本と韓国の一騎打ちとなり、両者一歩も譲らぬ招致合戦は過
去に例を見ないほどエスカレートし、招致活動に関わる費用が膨れ上がって行ったのは
事実です。当時のメディアには、「わずか21人の投票で決まるのだから、こんなに無駄
な費用をかけなくても、もっと直接的なやり方があるだろうに、という関係者の声もあ
る。」などと言った記事が見受けられました。そんな中、我々の招致活動を貫いたの
は、長沼日本サッカー協会会長の、「アンフェアーな方法で持ち帰ったワールドカップ
など、子ども達に見せられない。」と、いう確固たる方針でした。
 
 本来であれば、「仕事として関わったワールドカップ招致」に関して、私は一切口外し
ないのがビジネスの筋かもしれませんが、2005年にフジTVが制作したセミドキュメン
タリードラマ、「熱き夢の日:2002年ワールドカップを招致した男たち」(主演:伊藤
英明、藤原紀香)の制作にあたって、私達国際部員は上司から以下のような指示を受け
ました。
 
 「2002年ワールドカップは、恐らく日本の歴史に残るであろう。そのワールドカップが
どういう経緯を経て日本に来たのか、そしてそれがなぜ共催という結果になったのか。
これは事実を明白にして歴史の一部に残すべきことだ。招致活動を通じて君たちが
見聞きしたことは、何一つ隠す必要は無い。すべてを語って構わない。」という指示の後、
我々国際部員は、このドラマの原作者の取材を一人ずつ受けました。それ以来私は、
様々な出来事があったワールドカップ招致において、FIFAの政治力学や、日韓の
歴史上の問題、そして今回明るみに出た世界のサッカー界の蔭の部分、これらに翻弄さ
れることなくフェアープレイを貫いた日本の招致活動について積極的に語ることにしました。
 
 
≪賄賂の要求は無かったのか?≫
 
 招致活動の最終目標は、「1996年6月1日に予定されているFIFA理事会で、21名
のFIFA理事の投票によって決定される2002年のワールドカップ主催国に当選すること」
です。そのために当該のFIFA理事に関する情報はもとより、それぞれが選出の基盤と
なっている世界の6つの大陸の大陸サッカー連盟や、各国サッカー協会に関する情報を
収集しました。ワールドカップ招致開催の条件のひとつには、「主催国政府の全面支援
の取り付け」、が前提条件となっており、そのために組織された「2002年ワールドカップ
招致全国議員連盟」という超党派の議連や、サッカーに関わる大手スポンサー企業の協
力も得て、この情報収集は官民一体となった密度の濃いものでした。
 
 そんな中、ワールドカップを始めとする巨大なスポーツイベントには、陽の部分だけで
なく、陰の部分があることも分かって来ましたし、私たちが世界行脚で各国を回ってい
る時も、大会関係者でないと入れないVIPエリアに、「ワールドカップ開催に関して
極めて影響力の高い人物の代理人」を名乗る人がいて、「君はビジネスの話ができる人
か?」と、私に話しかけてくる、ということも実際にありました。
 
 私たちの招致活動における指令は、「日本の招致活動は一切の金銭要求に応じてはなら
ないし、またその種の要求をさせるような雰囲気を作ってもならない。」という
ものでした。たった21名の理事による投票ですから、投票後に誰がどこに投票したか、
は概ね人々の知るところになるそうです。開催国決定後は、勝利した国に投票した
理事の発言力の方が有利になりそうですし、人は誰しも勝ち馬に乗りたい、という
心理がありますので、我々は、この投票に関して、「恐らく僅差による決定ではなく、
どちらかによる圧勝となるのではないか。」と、見ていました。勝利を目指す我々に
とって、もし万FIFA理事から金銭要求を受けたとすれば、その答えは、”No!” である
訳ですから、結果として我々はその理事を敵に回すことになってしまいます。
 
 招致活動の実際の業務は、情報収集によってもたらされた情報を元に各大陸連盟、
各国協会、各理事、そして世界中のサッカーファンから。「ワールドカップ開催にふさわし
いのは日本だ。」という賛同を取り付けることです。そのためにFIFA理事との面談や、
各国サッカー協会関係者との交流、世界中のサッカーメディアを招いてのレセプション
の開催や記者会見、等が行われました。これらの席で、次のような言葉を耳にしたこと
もあります。「私が持っている1票をどちらに投票するか。これには3つのことを考えな
ければならない。まず一つは、私の大陸連盟にとって、どちらが良いか?次に私の国の
サッカーにとってどちらが良いか? そして最後に、私にとってどちらが良いか?という
ことだ。」
 
 私たちは、この言葉に対してどう回答したか?「示唆に富むお言葉を頂き、大変感謝い
たします。私達、日本のワールドカップ招致にはいくつかの理由がありますが、その内
のひとつは、『ここまで日本のサッカーの成長に力を貸してくれた世界のサッカーファ
ミリーに対する恩返し』というのがそれです。ご存知のように1945年、敗戦国としてす
べてを失った我が国は、その後奇跡的な復興を遂げ、今や経済大国として豊かな国を築
き上げ、その技術や品質の面において世界に誇れるものがあります。我々の言う感謝と
は、こうした日本の姿を世界に見てもらい、そして世界のサッカーファミリーの皆さん
のお役に立ちたい、ということです。お国のサッカーや、大陸連盟加盟の国々のサッ
カーの発展に関して、我々がお役に立てることがあれば、どうぞお知らせください。」
というものでした。
 
 つまり、「自分自身への利益供与ではなく、(自分自身の立場をよくするために)
日本から得ることができる公明正大な貢献の方法を考えてください。そしてそれを
メディア等を通じて宣伝してください。」ということです。
 
 ひとつ実例を挙げましょう。ワールドカップの日本招致を最初に発案した
日本サッカー協会の村田忠男理事はアフリカのサッカー界に多くの友人をお持ちでした。
その村田理事の発案で、「2002年ワールドカップジャパンによるアフリカ・メディカル
(医科学)セミナー」が開催されました。これはスポーツのトレーニングや
子供たちの健康管理に関して、アフリカ各国のスポーツ指導者を対象に、医療や
スポーツの専門家を講師とした実践的なミナーでした。日本招致委員会はこれを
アフリカの各地で開催しました。実はアフリカには部族問題があり、対立する部族が
同じ場に同席することは決して無い、というのが常識だったそうです。
 
 ところが、このメディカルセミナーには部族間の対立を越えてあらゆる部族の人達が
集まって来ました。これはアフリカにとっては驚くことで、アフリカ各地の新聞やテレビが
このニュースを取り上げ、「2002年のワールドカップ招致を掲げる日本のサッカーの
アフリカへの贈り物」 として大変大きな注目を集め、招致委員会は各種メディアの
取材を受けることができました。メディカルセミナーの開催には費用がかかりますが、
これを広告費に換算すると、それも好意的な報道についての価値で考えると大いに意義ある
ものでしたし、サッカーのみならず日本の貢献という観点からも、誇って良い活動だった、
と私は思っています。
 
 こうして我々日本の招致活動は。試合終了のホイッスルの鳴る、1996年6月1日の
ゴールを目指して、「フェアープレイ!」を合言葉に、長沼キャプテンの背中を追いながら
力で駆け抜けました。
 
 しかし、この試合の結果は、本来の試合終了であるはずの一日前、5月31日に
FIFA理事会の決定により、「日韓共催決定」、いわば、引き分けが告げられた訳です。
これはFIFAの政

治力学による、招致活動という試合のルール外の決定となりました。
 
 
1.fifa2002
 
2008年6月2日、尊敬する長沼健日本サッカー協会会長は77歳で、
その生涯を終えられました。
 
お側に仕えることができた約2年間は、私の生涯の宝物です。
 
吉川浩司
 
 
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