| ☆★ My Best Friend アジアから来た私の親友★☆ |
|
|
| 作者: Administrator | |||||
| 2010年 6月 11日(金曜日) 06:12 | |||||
≪My Best Friend アジアから来た私の親友≫
以下の留学体験は、「アメリカ人側から見た日本人留学生について」のお話しを、日本語訳したものです。
この記事を寄稿してくれたのは、IYEO青少年異文化交流推進協会の福岡デスク(ジャパンセンター)の岩下小百合カウンセラーです。アメリカ人からは日本人留学生がどのように映っているのか、ちょっとAmyさんの話に耳を傾けてみましょう。
******************************
1993年8月、高校3年生の始業日でした。その夏、私の人生に様々な変化がありました。祖母のロイスが、心不全で亡くなった心の傷も未だ癒えていませんでした。私はSuzieという名前の子犬を飼い始めました。両親と私は、大学進学の計画を立てていました。学校に車で通学することをようやく許され、それは私にとってはすごい事でした。その日は、毎年と同じ新学期の始まりの日でした。いつものように7時55分にホームルームが始まり、いつものように学校からの連絡事項を聞き、いつものように必要書類へ記入をしました。そしていつものように私が小学校4年生でインディアナに引っ越してきてからの多くの友人達の顔がそこにはありました。
しかし、これまで会ったことのない新顔が一人いました。私の横に座っていたのは、あごまでの長さの輝く黒髪をした、丸顔で、目じりの上がった小柄な少女でした。彼女がアジア人であることはわかりましたが、アジアのどこから来たのかはわかりませんでした。また、彼女がアジア人なのか、アジア系アメリカ人なのかもわかりませんでした。
その少女は、自分の前にきちっと本を積んで、一人で静かに座っていました。一番上に置かれたとてもかわいい小さな本を除いては、彼女の本と書類は私のものとほぼ同じようでした。その小さな本がどんなに重要なものであるのか、その時の私には想像もつきませんでした。その少女は、少し緊張しているように思えましたし、びくびくしているようでした。私は、家族や友達から離れ、新しい学校に入った時のことを思い出しました。わずか17歳であれば、自分が周りの人と同種の人だと思えなかったり、自分がそこに溶け込めると思えない気持ちは私にもよく理解できました。人は、自分の服装が格好よくないとか、髪型がおかしいとか、にきびができているとか、悩むものです。それまでの人生経験からは、そんなことは取るに足らない無意味なことだとはわかりません。17歳にとっては、それらが頭の中のすべてなのです。彼女がどんなにびくびくし、緊張しているのか私は想像がつきましたので、私は向きを変えて、その新入生に話しかけました。
彼女は話をすると、変わったなまりがありました。完全な文章ではなく、短い途切れ途切れのフレーズで話をし、時折あのかわいい小さな本(彼女の和英辞典)で単語を探すために時間を取っていました。彼女が言った言葉が理解できなかったり、意味をなしていなかったりしたので、私は、時々「何?」と聞き返し、そのため彼女は何度も同じことを言いました。やっと、さゆり(アメリカ人が発音するのはむつかしいので、私がゆっくり言わなければなりませんでしたが)が日本から来ていて、ここにはたった一人できていることがわかり、私は多いに同情しました。どうにかこうにか他人と会話ができる程度で、異なった文化の中に家族と離れて暮らすことは、とても怖いことに違いありません。人によっては、理解できなければただ笑って頷くだけで、立ち去ってしまうでしょう。彼女の立場になって考えてみると、それがどんなに恐ろしいことなのかを想像してみました。
私は、彼女が人々にどのように接して欲しいのだろうかと自問しました。私なら、理解しようと努めている間は少し待ってほしいと思いました。彼らが正直でないかどうか私には知る術がないので、正直であって欲しいと思いました。私は、彼女には友だちが必要だと感じましたが、彼女が私の生涯の親友になろうとはそのときは夢にも思っていませんでした。
一年にわたり、私はさゆりの文化について大いに学びました。そして今も学んでいます。私たちは、和食の煮物を一緒に料理しました。ある日は、彼女はイカ煮を作ってくれました。ものすごく気持ち悪いと思いましたが、私は彼女の気持ちを傷つけたくなかったので食べました。レストランに行った時には、私がメニューにあるものを説明しましたが、彼女はたいてい私が注文するものと同じものを注文すると言いました。彼女は、私に缶から一つずつ豆を取り出すようにさせ、箸の使い方を教えてくれました。彼女はいつも私にいくつかの新しい日本の表現を教えてくれました。彼女も私にとっては、同様に辛抱強い教師でした。私たちは、音楽を聴いたり、ピアノを弾いたり、ショッピングや映画を観に行ったりするのが好きでした。私は、さゆりを見守ってくれ、彼女を迷わす人がいないか(たとえば、ある時クラスの数人の男子学生が、さゆりに中指をたてることは、一番の意味だと教えましたが、それはそうではなかったことがありました)を、確認してくれる誰かが必要だと感じていました。
さゆりが、すべてが異なり、快適ではないだろう新天地に一人で来た勇気をすばらしいと思います。彼女には、境遇を乗り越えるために頼ることのできる誰かと知り合いになれるかどうかも、分からなかったはずです。私ならば、そんなこと怖くてできなかったでしょう。私はあの年、私たちが出会えて、とてもうれしく思います。私が彼女に対するのと同様に、彼女は私を助けてくれました。私も内気で、クラスの中に溶け込めないのではないかと心配だったのです。さゆりは外向的で、私を私の殻から引き出してくれました。彼女はとてもすてきなユーモアのセンスがあります。時々彼女のちょっとしたフレーズの「私、どんな感じ?」を思いだすと、遠くに離れていても私は元気になります。私たちは、お互い常に正直でした。例えば、私はピアノを弾くのだから、もっと上手く歌を歌えるはずだとさゆりは言ったことがありました。
彼女が日本に帰る時に、お互いを忘れてしまうのではないかと心配しましたが、そのようなこともありませんでした。そして、これからもずっとそのようなことはないと思っています。毎日話をすることはありませんが、私たちは生涯の友だちです。時には連絡を取ったり、新しい情報を交換しあったりするのに数ヶ月かかることもありますが、お互い必要になれば、私たちには一本の電話も、Eメールも、あるいは飛行機に飛び乗ることもできるのです。
******************************
海を越え、アメリカからこの記事を投稿してくれたのは、私の交換留学生時代からの親友であるAmy Shultzです。私たちは17歳の年に出会い、1年間を共に過ごしたあの日から10年以上たった今でも時には支えあい、時には意見を求め合い・・・今も昔も変わらず、親友として付き合っています。
私の帰国後、彼女は私より一足早く大学へ進学、教師になる夢を抱き、Ball State Univ.(インディアナ州)でSpecial Education(特殊教育)を専攻、現在立派に先生として知的障害を持つ生徒が通うクラスで担任をしています。また、プライベートでは、今年の春に2人目の子どもを出産、2児の母と教師の役を両立し頑張っています。
今はあの時のように、いつも一緒にいる事はできませんし、遠く離れていますが、私はいつも「彼女との距離」は関係の無いことだと感じています。私も教師を目指していましたが、今はIYEO福岡デスクで、自分に課された使命を果たすべく、常に努力したいと心がけています。将来再会した時、輝いている姿を見たいという気持ちが私にもあるように彼女にもあるはずですから!
岩下小百合
Amy Shultz (旧姓Amy Matvya)さん結婚式にて
|
|||||
| 最終更新 2010年 6月 11日(金曜日) 06:20 |











