| ☆★≪お前は何もやっちゃいない。戦おうとしたことだって一度も無い≫ 弊社の代表のかなり転倒回数の多い半生を、少しご紹介します ④ |
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| 作者: Administrator | |||||
| 2011年 2月 17日(木曜日) 05:43 | |||||
≪お前は何もやっちゃいない。戦おうとしたことだって一度も無い≫
弊社の代表のかなり転倒回数の多い半生を、少しご紹介します ④
英語の授業について行けず成績不良で大学から警告書を出され、東海岸の大学の寮の食事がまずくて好き嫌いをしているうちに「栄養失調」と診断され、全米最大のアメリカ陸軍の基地のあるその街は治安が悪く、そして大学のカフェテリアは白人と黒人の食べる場所がクッキリと分かれている、そんな全てが私は嫌いでした。「何でこんな所に来てしまったんだろう。日本に帰りたい。家族や友人がいる広島に帰りたい。」アメリカ留学開始から5ヶ月経過、完全なホームシックでした。
もし大学を辞めるなら寮も出なければならないし、学生で無くなれば学生ビザも失効するので日本に帰国しなければいけません。そのための航空券を買うお金も日本の家族に送ってもらわなければなりません。「お前、どうするんだよ・・・」と、考えると夜も満足に眠れません。学期の切れ目の短い休みのある夜のことでした。夜中に目が覚めて、寮の外にタバコを吸いに出ました。ルームメイトが寝ている部屋にそのまま戻る気にもならず、寮の洗面所で顔を洗って鏡を見て驚きました。そこには青白い顔で哀れみを請うような惨めな表情の自分の顔が写っていました。このまま日本に帰っても故郷の広島にはカッコ悪くて帰れない。どうせなら東京か大阪の都会に行こう。そこでどこかの会社で働かせてもらおう。「アメリカに住んでいたので英語はできます。」と言おう。「高校時代は柔道をやってたので体力には自信があります。」と、明るく言おう。「そして心機一転、今度こそ前向きに頑張ろう。」しかし、目の前に写っている惨めな表情の自分が言います。「お前にはどうせ無理だよ。最初だけ元気が良くっても都合が悪くなったらすぐにギブアップしてまた逃げ出すさ。お前はそうやってこれからも一生逃げ続ける。俺にはそれがお見通しだ。どこに逃げても俺がずっと着いて行ってやる。」鏡の向こうから暗い目で見つめる自分に、「僕はこれから一生こいつに負け犬。卑怯者。」と、呼ばれて生きていくのか、と思うと、心底ゾッとしました。「いったい何がいけなかったんだろう?」と、思うと、頬を涙が伝い始めました。「僕がそんなに悪いことをしたのか?」、それに対して、「いや。お前はまだ何もやっちゃいない。助かるための努力どころか、戦おうとした事だって今まで一度も無い。」
生まれて初めての感覚が芽生えました。「やってやらあ!このまま踏み潰されてたまるか!」苦しいことから、カッコ良くないことから逃げ、表面だけを取り繕うことに精を出していた私が初めて、カッコ悪くて、全然楽しくないことに一歩を踏み出してみようと決めました。翌日、他の留学生やアメリカ人学生になるべく英語のハンディを背負わなくて良さそうな授業を聞いて回り、分厚い教科書を読まなければいけない授業の数をなるべく少なくして2学期目の単位登録を終えました。
その日から、英語が聞き取れない授業にもとにかく出席して聞き取れた言葉をカタカナでもメモを取り、授業からはかなり遅れた教科書を毎日辞書を引きながら深夜まで読み続け、という日々が始まり、そして、「こんなアホらしいことやってられるか!」と、毎日あきらめ、しばらくして、無言で投げ出したペンを拾ってまた辞書を引く、と言う日々が続きました。「もう止めた!」と、思ったら、「止めるけど、今日一日だけやって明日止めよう。」と、自分に言い聞かせて教科書を読み続けましたが、投げ出したペンを拾えない時が来ました。中間テストの後でした。自分なりの努力をしたにも関わらず惨憺たる結果、そもそも授業範囲までまったく追いついていないのですからテストの問題の意味すらよく分かりませんでした。
「やっぱり無理だったんだ。そもそも一日の授業で20ページ近く進むのに、僕は必死に読んだって一晩で7、8ページしか読めてないじゃないか!」と、思ってハタと気がつきました。「あれ?7、8ページ?ちょっと待てよ。」と、教科書の最初の方を開きました。毎日一生懸命辞書を片手に教科書を読んで、睡魔に勝てなくなったらその日に読んだところに印をつけて数時間眠って授業に出る、という日々だったのですが、最初の頃は一日に3、4ページしか読めていませんでした。それが約2ヶ月でほぼ2倍のページを読めるようになっていました。「伸びてるんだ。これでも先へ進んでいるんだ。カタツムリみたいなスピードかもしれないけど。」と、思いました。その日からは、「昨日よりもあともう1ページ先へ!」という目標ができました。
そうして迎えた期末試験の直前、教科書はまだ3割以上手付かずで残っていました。授業も相変わらずチンプンカンプンでした。せいぜい時々教授が、「例えば・・・」と例を話す時にそれが何のことについて話しているのかが何となく想像できる程度でした。期末試験は目前でした。実を言うと自主退学をせずにもう一学期の挑戦を決めた時、私はひとつの逃げ道を残していました。「やるだけやって、それでも駄目だったら最後の最後で期末試験を放棄して退学すれば良い。そうすれば成績はつかないはずだから、『大学の勉強は社会に出ても役に立たないから自主退学した。』と言えば、勉強についていけなくて退学になったということは誰にもばれないはずだ。」と、考えていました。やっぱり元々スネオの性格の私です。・・・で、どうしたか?期末試験直前、試験を受けることにまったく迷いはありませんでした。「生まれて初めて最後まで逃げ出さずにやり続けたんだから、その結果がどうなるか、ちゃんと見届けてやらなければ。」と、むしろ爽やかな気分すら感じていました。
4点満点の成績平均点(GPA:Grade Point Average)で2.0を下回ったら「警告書」、それで先学期は1.56でした。そして出された「学問的警告書」、それを今学期の成績でGPA:2.0以上に引き上げることが出来なければ退学です。期末試験では、そこまでに読んだ教科書から知っていることを必死に書きました。そして期末が終って数日後、ポストの中に成績表が送られてきていました。4点満点の2.0をクリアできていなければここで終わり。祈るような気持ちで封を開けると、「GPA:2.08」と、書かれていました。「やった!行ける!あとはこれをずっと繰り返せば良いんだ。」わずか、0.08の差ですから、まさに首の皮一枚の差でしたが、1.56から伸びた、ということが嬉しくて、初めての努力が結果になったことが嬉しくて、このまま進めばいつか卒業できるに違いない、という気がしました。
こうしてノースキャロライナのMethodist Collegeでの1年を終えた私は、あまりに酷いホームシックのために、「日本と変わらない」と、言われるハワイに転校手続きをとって常夏の島ハワイ州ホノルルにある小さな大学、Hawaii Pacific Collegeに転校すべくノースキャロライナを後にしました。
株式会社アメリカンドリーム 代表取締役 吉川浩司
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| 最終更新 2011年 5月 13日(金曜日) 08:55 |










