| 14.2002年日韓共催ワールドカップ 長沼健 日本サッカー協会会長 |
|
|
| 作者: yoshikawa | |||||
| 2010年 5月 22日(土曜日) 05:35 | |||||
≪2002年日韓共催ワールドカップ≫ 長沼健 日本サッカー協会 会長
もうすぐサッカーのワールドカップ南アフリカ大会が開幕します。日本代表チームの岡田監督の厳しい表情を毎日テレビで見かけますが、私が初めて岡田武史さんと出合ったのは当時代表監督だった加茂監督のヘッドコーチを岡田さんがされていた頃で、私が2002年ワールドカップ日本招致委員会の国際部員として日本サッカー協会の長沼健会長(当時)に随行して日本代表チームに帯同した時でした。現地入りした代表チームは重圧のためピリピリして、選手もスタッフも言葉も笑顔も少なくなりがちですが、包み込むような暖かい人柄の岡田さんの周りにはいつも多くの人が集まっていて、周囲を爆笑させるような話しをしてくれたのを覚えています。
2002年のワールドカップは韓国との激しい招致合戦の末に史上初の「日韓共催」ということになりました。この“2002年FIFAワールドカップKorea/Japan”が切っ掛けとなって、それまで過去の戦争の傷跡ゆえに関係がギクシャクしていた日韓両国の距離が縮まり、その後、韓流ブームが起こり、そして現在のように友好な関係となったことを私は嬉しく思います。
1996年5月にスイスのチューリッヒで行われたFIFA国際サッカー連盟の理事会で史上初の共催が決定し、急遽前倒しで記者会見が行われることになりました。FIFAのルールに無かった史上初の共催となったことで日本サッカー協会の幹部会議が行われ記者会見の内容を打ち合わして皆慌しく準備に走りました。そんな中、長沼会長付きだった私は会長と二人室内に残っていました。しばし無言の後、会長は右手の拳を左の手のひらに打ち当てて言われました。「よし、お隣とは今まで色んなことがあった。政治が両方を仲良くさせようと思ってもそれができなかった。経済もやろうと思ったがこれも駄目だった。じゃあ、スポーツがやってやろうじゃないか。」と。そして立ち上がって記者会見場に向かわれました。
2008年6月2日、私が敬愛する長沼健会長はこの世を去られました。招致活動が終了した後も、長沼会長の人柄に惹かれた招致委員会のスタッフにより、年に数回「仲良し会」と称して長沼会長ご夫妻を囲んで部会が行われていました。会長が亡くなられる少し前の「仲良し会」で私は会長に尋ねました。「会長、スイスでの記者会見の前に、『よしそれじゃあスポーツがやってやろう。』と、おっしゃいました。今振り返って日韓共催となったワールドカップをどう思われますか?」会長は、「私はあれで良かった、と思ってるよ。そりゃあ当時は単独開催のためにベストを尽くしていたから色んな思いはあったさ。でもあのワールドカップのおかげで日韓両国の人たちの中に素晴らしい思い出ができて、こうして両国が仲良くなれたんだから、私は素晴らしい結果になった、と思ってるよ。」と、答えられました。
「心を鍛えれば、男子とはこんなにも素晴らしい人になれるものか。」と、敬愛してその背中を追った長沼会長のご命日が間もなくやってきます。そしてもうすぐ長沼会長の時代に日本代表チームの監督を初めて務めた岡田武史監督が率いる日本代表チームが出場するワールドカップ南アフリカ大会が開幕します。
2002年ワールドカップ日本招致委員会 国際部(当時)吉川浩司
会社概要と代表者からのご挨拶 VIPアテンド・通訳・ローカルコーディネーター
|
|||||
| 最終更新 2010年 7月 16日(金曜日) 05:38 |










