| 9.留学の大先輩!! 勝海舟 |
|
|
| 作者: Administrator | |||||
| 2010年 5月 14日(金曜日) 11:04 | |||||
≪留学の大先輩!! 勝海舟≫
1860年、勝海舟は遣米使節団の“補充員”として、咸臨丸(幕末期に江戸幕府が所有していた軍艦で、初期のもの)に乗り、太平洋を横断し、サンフランシスコへ渡航しました。横断には37日かかったそうです。この渡航を計画したのは、一橋派の幕臣達(岩瀬忠震 他)だったのですが、この渡米計画を立てた当の本人達は、安政の大獄で引退を余儀なくされた為、木村摂津守が軍艦奉公並となり、皆を率いることとなりました。この渡米には米国海軍のジョン・ブルック大尉(測量船フェニモア・クーパー号船長)も同乗し、通訳としてジョン万次郎、木村摂津守の従者(お世話係)として、福沢諭吉も乗込んだそうです。勝海舟も、福沢諭吉も、この咸臨丸の航海を「日本人の手で成し遂げた壮挙」と自讃しているそうですが、実際には日本人乗組員はひどい船酔いの為、ほとんど役に立たず、同乗したブルック大尉や米国海軍の海兵隊らがいなければ、渡米できなかったという説があります。しかし、帰国の際は海舟ら日本人の手だけで帰国することができたとのことです。
<福沢諭吉の『福翁自伝』によると・・・>
木村摂津守が“艦長”、勝海舟は“指揮官”と記されていますが、実際にそのような役職はなく、木村摂津守は「軍艦奉行並」、勝海舟は「教授方取り扱い」という立場だったそうです。しかし、アメリカ側は木村摂津守をAdmiral(アドミラル=提督)、勝海舟をCaptain(キャプテン=艦長)と呼んでいたとのことです。
<遣米使節団の面白話>
船酔いでダウン寸前だった勝海舟でしたが、アメリカ大陸が見えた途端、大威張りを始め、さらには自分の羽織を棒にくくりつけて練り歩こうとしたそうです。同行者がさすがに“みっともないからやめろ!”と、止めたそうですが・・・。(これは同行者の一人であった福沢諭吉が、本に書き残している逸話で、福沢諭吉が勝海舟を軽蔑するようになった原因のひとつである と言われているそうです。)
文責:岩下小百合/留学情報プラザ ジャパンセンター (IYEO福岡デスク)
大学・大学院・短大・専門学校への留学 アメリカ大学留学奨学金プログラム
|
|||||
| 最終更新 2010年 7月 16日(金曜日) 05:41 |











